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東京地方裁判所 昭和31年(刑わ)750号 判決

被告人 大西正道 外二名

主文

被告人三名は、いずれも無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人大西は、衆議院議員の地位にあつて第十六国会当時衆議院文部常任委員会委員に選任されており、議員として法律案の発議、法律案、予算案の審議表決等を為す職務を有し、また前記文部委員として文部省所管事項等に関する法律案等の審査を為す職務を有していたもの、被告人松尾は全国学校図書館協議会事務局長、被告人佐藤は株式会社平凡社常務取締役であつたところ、かねて被告人松尾は、前記協議会の総意に基き、被告人佐藤等の協力を得たうえ学校図書館法の立法化運動を始め、昭和二十八年第十六国会が開会されるや、文部委員として右法案の立法化に関心を有していた被告人大西をしばしば衆議院第一議員会館等に訪ね、右法案を同国会に提案してその成立に尽力されたい旨懇請し、被告人大西もまたその請託を容れて各党関係議員に呼びかけ、同年七月二十一日他の文部委員二十四名と共に「学校図書館法案」を議案として衆議院に発議したうえ、その表決に参加し、同法案が参議院に送付されて同院文部委員会に付託された際、発議者としてその提案理由を説明し、かつ質疑に応答する等種々尽力した結果、同法案は右両院において可決されて同年八月八日公布され、昭和二十九年四月一日から施行されるに至つたが、

第一、(一) 被告人松尾は、昭和二十八年七月三十日頃、東京都千代田区富士見町二丁目五番地所在衆議院議員宿舎において、被告人大西に対し、同被告人が学校図書館法立法化のため前記のごとく被告人松尾等の請託を容れて、種々尽力してくれた謝礼の趣旨のもとに現金十万円を供与し

(二) 被告人松尾および同佐藤は共謀のうえ、同年十月六日頃、同区永田町二丁目十二番地所在衆議院第一議員会館において、被告人大西に対し、前記第一、(一)記載と同じ趣旨のもとに謝礼として現金三十万円を供与し

もつてそれぞれ被告人大西の前記職務に関して贈賄し

第二、被告人大西は、被告人松尾等より学校図書館法立法化のため前記冒頭記載の請託を受け、いずれも前第一、

(一)または(二)記載の趣旨のもとに供与されることの情を知りながら

(一) 前第一、(一)記載の日時、場所において、被告人松尾から現金十万円を収受し

(二)  前第一、(二)記載の日時、場所において、被告人松尾等から現金三十万円を収受し

もつてそれぞれ自己の前記職務に関して収賄し

たものである、というのである。

しかして、被告人三名の当公廷における各供述、衆議院事務総長鈴木隆夫作成の昭和三十一年三月一日附捜査関係事項照会回答書、第十六国会衆議院会議録第二十五号(昭和二十八年七月二十一日附官報号外)、同国会参議院文部委員会会議録第十二号、同第十四号、同国会参議院会議録第二十八号(同月二十九日附官報号外)、学校図書館法の解説と題する書面一冊(昭和三十一年証第一三九六号の十二)の各記載を総合すると、被告人大西が衆議院議員の地位にあつて第十六国会当時衆議院文部常任委員会委員に選任されており、議員として法律案の発議、法律案、予算案の審議表決等を為す職務を有し、また前記文部委員として文部省所管事項等に関する法律案等の審査を為す職務を有していたこと、被告人松尾が全国学校図書館協議会(以下「協議会」と略称する)事務局長、被告人佐藤が株式会社平凡社(以下「平凡社」と略称する)常務取締役であつたこと、被告人大西が昭和二十八年七月二十一日他の文部委員二十四名と共に「学校図書館法(以下「図書館法」と略称する)案」を議案として衆議院に発議したうえその表決に参加し、同法案が参議院に送付されて同院文部委員会に付託された際、発議者としてその提案理由を説明し、かつ質疑に応答する等種々尽力し、同法案は右両院において可決されて同年八月八日公布され、昭和二十九年四月一日から施行されるに至つたことを認めることができる。

(一) そこで、前記公訴事実第一、(一)および第二、(一)の現金十万円の贈収賄の事実について審究するに、被告人松尾の検察官に対する昭和三十一年三月一日附供述調書中には、図書館法が通過した直後頃、大西が病気で九段の議員宿舎に寝込んだので、同人が自分達の頼みを聴いて図書館法の立法化に努力してくれたことや、そのため体を悪くしてしまつたことに責任を感じ、療養を尽して早く治つて貰いたいと思い見舞金十万円を届けた。なお、さきに警視庁で協議会別途会計の銀行預金の資料を見せて貰つたところ、昭和二十八年七月三十日に大和銀行八重洲口支店の口座から九万円が引き出されていることが判つたが、時期的にみて、この九万円に手持金一万円を加えて十万円とし、果物と一緒に大西のところに持つて行つたものに違いない旨の記載があり、被告人松尾の検察官に対する昭和三十一年三月十日附および同月二十三日附各供述調書中にもこれに添う趣旨の記載がみられ、また大和銀行八重洲口支店作成名義の捜査関係事項照会の件回答書添付の協議会別口普通預金照合表の記載によると、昭和二十八年七月三十日に現金九万円が引き出されていることが明らかであり、これらの証拠を総合すると、一見前示第一、(一)および第二、(一)の各事実が認められるごとくである。

しかしながら、被告人松尾は、当公廷において前記各供述を飜がえし、捜査段階では大西に十万円を贈つたと述べたが、実は、当時右金額の点については、はつきりした記憶がなく、たゞ図書館法が通つた日の翌日に贈つたことは憶えていたのでその旨捜査官に申し述べたところ、大和銀行八重洲口支店の協議会関係預金通帳には昭和二十八年七月三十日に九万円が払い出された旨記帳されていると教えられ、十万円位ではなかつたといわれ、そういえば九万円というはんぱの金を贈るわけはないので、一万円をたして十万円にしたようにも思え、記憶がはつきりしないまま十万円と述べたのであるが、釈放されて後協議会の会計係鈴木桃子から贈与金は五万円であつたといわれ、さらに約半年を経て当時の会計帳簿類が発見され、右帳簿類に基いて同女が記憶をたどつたところ大西への贈与金は五万円であつたことがはつきりしたとのことであるから、検察官に対して十万円と述べたのは、記憶違いのようである。なお、右五万円は果物と一緒に大西のいる九段の宿舎にもつて行き、同人に附き添つていた得本時義に託して帰つたが、これらを贈つた趣旨は純然たる病気見舞である旨供述し、一方被告人大西は、当公廷において、松尾から病気見舞として果物を貰つたことは確かであるが、見舞金は全く受取つた憶えがない旨供述しており、被告人大西の検察官に対する昭和三十一年二月十九日附および同年三月二十二日附各供述調書中の記載もまた、同人の当公廷における右供述と同趣旨であるから(たゞし、同人の右各供述調書は、被告人松尾、同佐藤に対する関係では取調べていないので、右両名に対する関係ではこれを判断の資料に供しないものであるが、右各供述調書中の記載は被告人大西の当公廷における供述と実質的に大差がないので、これを除外しても以下に述べる当裁判所の判断には何等影響を来たさない。なお、後に挙げる被告人大西の検察官に対する各供述調書についても、すべて右同様である。)、本件では、被告人松尾の検察官に対する前記昭和三十一年三月一日附、同月十日附および同月二十三日附各供述調書の信ぴよう性いかんが犯罪の成否を大きく左右するものというべく、その採否を慎重に検討しなければならない。

そこでまず、被告人松尾の検察官に対する前記各供述調書中大西に十万円を贈与した旨の記載部分について考えるに、被告人松尾の当公廷における供述ならびに検察官に対する昭和三十一年三月一日附および同月二十三日附各供述調書の記載に照らすと、もともと同人はこの点について明確な記憶がなかつたところ、捜査官から、協議会が昭和二十八年七月三十日大和銀行八重洲口支店より現金九万円を引き出していることを告知され、この事実に推測を加えて述べたのではないかとの疑いが濃厚であるうえに、証人鈴木桃子の当公廷における供述ならびに同日附スタンプのある協議会宛て振替貯金受払通知票一一三号(昭和三十一年証第一三九六号の二十一に編綴中のもの)および協議会の会計を記載したノート一冊(同証号の二十)の各記載を総合すると、前記九万円のほかに、同日さらに七万円が協議会の振替貯金口座から引き出され、しかも右九万円および七万円の現金は同時に事務所に持ち帰られたこと、そのうち一万円が高校用件名目録作成委員会の費用として、六万円が図書館法案関係の費用としてそれぞれ支出されていることを認めることができるのであるから、被告人松尾の本件贈与金が十万円であつた旨の前記供述は、その拠りどころについても重大な欠陥が存するものというほかなく、さらに証人鈴木桃子は、当公廷において、前記ノートは自分が作成したものであるが、これに基いて記憶をたどると、当時月末で協議会の印刷費、食費および幹事に対する交通費等に充てるため十万円程の金が入用だつたので、右九万円と七万円との合計十六万円のうちからこれらの費用を支出し、残額六万円のうち一万円は前記件名目録作成委員会の費用に充て、さらにその残額から五万円を被告人松尾に渡した筈である旨供述しているのであつて、かゝる事情のもとにおいては、被告人松尾の本件贈与金が十万円であつた旨の前記供述記載部分は、にわかに採用し難いものといわなければならない。

しかして、上述した証拠関係から明らかなとおり、すでに被告人松尾の右供述記載部分が採用できない以上、本件贈与金が十万円であつたものとは認め難いというほかない。

しかしながら、被告人松尾および証人鈴木桃子の当公廷における前記各供述ならびに被告人大西および証人佐野友彦の当公廷における各供述を総合すると、被告人松尾が、前同日協議会の会計から支出された現金五万円を持参して、大西の病臥する九段の議員宿舎を訪れたこと、前記得本にこれを託したかどうかは別として、少くとも右金員を大西の寝ている二間続きの部屋に置いて帰つたことは、これを認めることができるので、右五万円の限度で本件犯罪の成否を考えるに、被告人大西については、同人がこれを受けとつた証拠は毫も存在しない。そこで、進んで右金員の提出をした被告人松尾の罪責について検討するに、被告人松尾、同大西の当公廷における各供述によると、右両名は昭和二十三、四年頃から交際を続けており、大西が選挙に立候補したときは松尾が個人的にこれを援助したり、また家庭的にも相互に贈答品をやりとりするほど親密であつたこと、被告人松尾は、本件当時大西が必らずしも金銭的に恵まれていなかつたので、場合によつてはさしあたつて必要な入院費にも困るのではないかと考えたことを認めることができ、これらの事情と右両名の前記地位、身分等を考え合わせると、本件の場合松尾が病気見舞として五万円程度の金員を贈ることは、社会通念上当を失したものとは認められず、かつ右金員は大西の職務に関することなく提供されたものとみるのが相当である。

もつとも、被告人松尾の検察官に対する昭和三十一年三月一日附供述調書の記載から推すと、右金員提供の際、同人の心底には、大西が体を悪くした一つの原因は、同人が図書館法立法化に努力したためであり、よくやつてくれたという考えが毫末もなかつたものとはいゝ切れないようであるが、かりに松尾の心底に無意識的にそのような考えがあつたとしても、右両名の前記親交関係等の諸事情を考えると、このような心理的側面が、右金員提供の行為に違法性を附加するものとは、とうていいうことができないから、この点を考慮に入れても、右五万円についてはその賄賂性を認め難いものというほかない。

なお、前記のとおり本件五万円は協議会の会計から支出されており、このことは、後に述べるとおり同会が図書館法立法化運動の中心的役割を果していただけに、右金員の賄賂性を疑わせるごとくであるが、証人鈴木桃子の当公廷における供述、同人作成の前記ノート一冊、協議会に関する普通預金勘定照合表一部および富士銀行世田谷支店作成の松尾弥太郎に関する普通預金元帳写二枚の各記載を総合すると、当時被告人松尾が協議会に対して五十万円位の金を貸していた事実をうかがうことができ、同人は後日この貸金と前記五万円とを清算する意図があつたのではないかと考える余地も十分あるのであるから、五万円が協議会の会計から支出されていることの故をもつて右金員の賄賂性に関する前記認定を左右することは相当でない。

以上の次第であつて、前示第一、(一)の事実については、被告人松尾が五万円の限度で、これを大西に提供したことは認められるが、証拠上右金員の賄賂性はこれを認め難く、前示第二、(一)の事実については、被告人大西が右金員を受け取つたことを認めるに足る証拠がなく、また同人が贈与の要求ないし約束をしたような事実も証拠上何等うかがうことができないから、結局右各事実はいずれも犯罪の証明がないものというべきである。

(二)  次に、前示公訴事実第一、(二)および第二、(二)の金三十万円の贈収賄の事実について審究するに、被告人三名の当公廷における各供述、証人鈴木桃子の当公廷における供述、平凡社の振替伝票綴一冊(昭和三十一年証第一三九六号の一のうち昭和二十八年十月五日および同月六日分の綴)、同社の銀行勘定帳(同証号の二)、金額三十万円および二十万円の小切手各一枚(同証号の三および四)、埼玉銀行東京支店用当座小切手帳控一冊(同証号の五)、諸雑費用補助簿一冊(同証号の六)の各記載を総合すると、昭和二十八年十月六日に平凡社の会計から協議会に宛てゝ学校図書館運動援助資金名義で、三十万円および二十万円の小切手各一通が発行され、同日被告人佐藤から被告人松尾に対し、右三十万円の小切手は大西への贈与分として、右二十万円の小切手は協議会への贈与分として手渡され、右三十万円の小切手は間もなく現金化され、同日右松尾によつて被告人大西に贈られたことを認めることできる。しかして、被告人大西に右三十万円が贈られた場所について考えるに、被告人松尾の検察官に対する昭和三十一年二月十一日附および同月二十七日附各供述調書中には、第一議員会館の大西の部屋で同人に直接現金三十万円を渡した旨の記載があるが、同じく被告人松尾の検察官に対する同年三月十日附供述調書中には、さきに議員会館で渡したと述べたが確信が持てない旨の記載があり、また同月十二日附供述調書中には、佐藤にこの件を尋ねたところ、どこか駅で渡したと報告されたというので、そうだつたようにも思う旨の記載がみられるのであつて、この点に関する被告人松尾の供述は確たる記憶に基くものとは認め難いところ、前記二月十一日附供述調書中には右三十万円のほかに昭和二十八年の暮か二十九年の初め頃、大西が姫路へ帰る際東京駅で五十万円渡した旨の記載があり、この件は前記三月十日附供述調書中において、記憶違いであつたとして取消され、かつ他に右事実を認めるに足る証拠もないので、松尾のいうとおり記憶違いに基いて述べられたものと認めるほかないが、それにしても東京駅で渡したとする記憶が何を原因として呼び起されたのか明らかでなく、あるいは三十万円を渡した場所が東京駅であつたのを右五十万円の件と取り違えて記憶していたのではないかとの疑問が生ずるうえに、被告人松尾は、当法廷において、釈放後佐藤に会つて当時のことを話し合つた際、同人から三十万円を渡した場所は東京駅であつたといわれ、そうであつたことを思い出した旨供述し、被告人佐藤は右三十万円を松尾に交付した翌日か翌々日同人から右金員を東京駅で大西に渡したと報告された旨供述し、被告人大西もまた最初はどこで三十万円を受取つたかはつきりしなかつたが、松尾の話をきいて東京駅で受取つたことを思い出した旨供述し、ここに被告人三名の記憶が東京駅であつたことに一致するに至つていることを考えると、前記三十万円はむしろ東京駅において授受されたと認めるのが相当である。

そこで次に、本件三十万円の贈与の趣旨について考察するに、被告人佐藤の検察官に対する昭和三十一年二月十三日附供述調書中に、何かの機会に松尾から大西が図書館法のことでいろいろ費用も使つておりお礼をしたいが金がなくて困つているといわれたので昭和二十八年十月に入つてから三十万円と二十万円の小切手各一枚を松尾に渡し、三十万円の分は大西に、二十万円の分は協議会で使うようにといつてやつたと思う。なお、自分としては右三十万円は松尾にやつたつもりだが、松尾が大西に渡すという話合いのうえでやつた旨の記載があり、同月二十九日附供述調書中には、平凡社が協議会に対して経済的援助を与えた理由として、社長下中弥三郎が図書館法の立法化運動に教育文化的立場から賛同していたこと、協議会の人達の純粋な動機と努力とに動かされたこと、平凡社の刊行書籍はその殆んどが学校図書館にはうつてつけのものであり、図書館法が成立して一定の国庫負担のもとに各学校が図書を充実することになれば、必然的に平凡社が出版する書籍も売行きが良くなるであろうとの漠然たる期待も手伝つていたことが挙げられるが、自分個人としても、図書館法が実現すれば、業者仲間から出版業界のために尽してくれたといわれるようになる点も考え、その実現を熱望して努力してやつた旨の記載がみられ、また、同年三月七日附供述調書中にも前記二月十三日附供述調書と同趣旨の供述記載があり、さらに被告人松尾の検察官に対する同年二月十一日附供述調書中には、昭和二十八年十月に入つてから佐藤が協議会の事務所に見えて、図書館法が通つたが、下中社長は大西や協議会の努力に感心し大西に三十万円を、協議会に二十万円を届けるようにいわれたといつて右同額の小切手各一枚をくれたので、三十万円の小切手は現金化したうえその晩に佐藤からいわれた趣旨を伝えて大西に渡した旨の記載があり、同月二十七日附供述調書中には、協議会として貰つた前記二十万円のうち大西の秘書重山義雄の分として一万円、得本時義の分として三万円をのし袋に入れ、これと前記三十万円とを持つて第一議員会館の大西の部屋へ行き、右一万円および三万円は、図書館法立法化のことで秘書の方にもいろいろ世話になつたから、それぞれ重山および得本に渡して貰いたい、三十万円は大西の分であるという意味のことをいつて渡そうとしたところ、大西は図書館法立法化の謝礼として金を貰うわけにはゆかないといつて押し返えそうとしたが、政治活動のため自由に使つて貰いたいといつて押しつけるようにして渡した旨の記載がみられ、同年三月十日附供述調書中には、自分としては本件三十万円は協議会が平凡社から借金し、協議会の名で大西に渡す気でいたので、同人に三十万円を渡す際平凡社の下中社長や佐藤の名は持ち出さなかつた旨の記載があり、また下中弥三郎の昭和三十一年二月二十一日附および同月二十八日附各供述調書中には、大西から政治資金の援助を頼まれたことはなく、また援助した事実もない。同人に対して政治資金を援助するような親しい交りもないし、義理もない。元来自分は政治家には興味をもつていないので、大西に限らず代議士連中に政治資金を援助したような事実はない旨の記載があり、さらにまた、重山義雄の検察官に対する供述調書中に、昭和二十八年秋頃第一議員会館の大西の部屋で同人と二人だけのとき、のし袋に入つた一万円を同人から貰つた記憶がある旨の記載があり、同人の妻重山道枝の検察官に対する供述調書中には主人の義雄が正式に秘書手当金一万九千円を貰うようになつたのは、昭和二十八年十月十日の給料日からで、その数日前に大西から祝儀袋に入つた一万円を貰つてきた記憶がある旨の記載があるのであつて、これらの証拠を総合すると、一見右三十万円が公訴事実にいうような趣旨で授受されたものと認められるごとくである。

しかしながら、被告人大西の検察官に対する昭和三十一年二月二十四日附供述調書中には、昭和二十八年の寒い頃、平凡社の下中社長から三十万円貰つたことがあり、この金を松尾が届けてくれたことは事実であるが、下中社長と自分とは共に兵庫県人の問柄にあり、世界連邦建設同盟の理事長と理事の関係もあつて、終戦後から交際しているが、昭和二十六年頃自分が日本教職員組合(以下「日教組」と略称する)の左翼偏向に対し反対の意見書を出して除名問題まで起きた際、このことについていろいろ話しにも行き、精神的支柱として頼りにし、親交を続けていたもので、時々政治活動上の資金援助も得ており、前記三十万円も同様の趣旨で贈られたものと思つて受取つた旨の記載があり、同年三月二日附供述調書中にも下中弥三郎との交際関係の詳細および本件三十万円は政治献金という趣旨で受取つた旨の記載がみられ、同被告人の当公廷における供述内容も一貫して右同様であるうえに、被告人佐藤は、当公廷において、検察官に対する前記各供述を飜がえし、昭和二十八年十月初め頃、下中社長が自分を呼び、大西が郷里へ帰るにつき金がいるそうだから援助してやれとの話があつたが、当時協議会も金に困つていると聞いていたので、ちようど良い機会と考え、そのことを話したところ、協議会にも出してやりなさいとのことであつたので、同会には二十万円位でどうかと話したところ、社長から、大西分と合せて片手位つまり五十万円位でどうかといわれ、斉藤専務と相談のうえ三十万円と二十万円の小切手各一枚を作らせ、大西に電話したと思うが連絡がつかないので右二枚の小切手を持つて協議会の事務所へ行き、松尾に二十万円の小切手を渡し、同人に大西の所在を尋ねた結果連絡がつき、大西がその夜郷里に帰ることを知り、松尾に下中社長の意を伝えて三十万円の手交方を依頼した。なお、検察官に対する各供述は、恩義ある下中社長を事件の渦中に入れまいとする配慮に基いて為したもので、真相を伝えていない旨供述し、また被告人松尾も、当公廷において、検察官に対する前記各供述を飜がえし、本件三十万円を佐藤から受取つたときのいきさつにつき、被告人佐藤の当公廷における前記供述に添う趣旨のことを述べ、その後右金員を大西に渡したときの事情につき、右三十万円の小切手は、鈴木桃子に現金化させたうえ当夜東京駅のホームで大西に渡した旨供述し、なお、検察官に対する前記二月十一日附供述調書中、三十万円は下中社長が大西に贈つたものである旨述べておきながら、同月二十七日附供述調書中これを否定したのは、尊敬する同人を事件の渦中に入れまいと考えた結果に外ならない旨供述し、さらに前記下中弥三郎も、第十七回公判においては、世界連邦建設同盟の会議の際大西に会つて日教組の行過ぎについて話合つたことがあるが、そのほかにも、あるいは同人が平凡社と自宅に一度位づつ来たことがあるかも知れない。なお、時期ははつきりしないが、大西が郷里に帰るのに金がなくて困つているというので、佐藤に応分のことをしてやりなさいといつたような記憶がかすかにある旨証言し、第二十九回公判においては、昭和二十八年の秋頃、大西の秘書か誰かから、同人が世界連邦建設同盟の姫路支部結成の中心になつているけれども金がないからいくらか援助して欲しいとの話があつたので、その後間もなく、佐藤に、大西が世界連邦建設同盟の支部を作るため郷里へ帰るので多少援助してくれといつているがどうかと話したところ、協議会の方からも頼まれているから一緒にそちらへも少し出したらどうかといわれ、その際両方合せて片手位つまり五十万円位でどうかといつた記憶がある旨証言するに至つており、被告人佐藤、同松尾および下中弥三郎の当公廷における各供述は、捜査段階における供述に比して重大な変化が認められるのである。

そこでまず、被告人佐藤、同松尾および下中弥三郎の前記各供述調書中本件趣旨に関する記載部分の信ぴよう性について検討するに、右被告人両名の当公廷における各供述、被告人佐藤の検察官に対する昭和三十一年二月二十九日附供述調書中第三項および同年三月十六日附供述調書中第二ないし第六項ならびに被告人松尾の検察官に対する同年二月二十七日附供述調書中第四項の各記載を総合すると、右被告人両名が本件捜査当時下中弥三郎を事件の渦中に入れまいと配慮していたことを認めることができ、また、被告人佐藤、同大西の当公廷における供述、証人得本時義の当公廷における供述、被告人佐藤の検察官に対する同年二月十八日附供述調書中下中社長と大西とが旧知の間柄であることは以前から知つていた旨の記載、被告人大西の検察官に対する同年二月二十四日附、同月二十九日附、同年三月二日附各供述調書および前記平凡社の諸雑費用補助簿一冊の各記載を総合すると、下中と大西とは親密とまではいえなくとも、相当程度親しい交際があり、本件は別として、下中が大西に対し選挙資金等の財政的援助をしたことのあることおよび下中が他の代議士にも二、三資金援助をしている事実をうかがうことができるのであつて、このことと、下中の検察官に対する前記各供述調書の記載とを対比して考えると、同人もまた検察官に対しては、本件渦中に捲き込まれることを警戒しながら供述したのではないかと疑えるふしが多いのであつて、かかる事情を考えると、被告人佐藤、同松尾および下中弥三郎の前記各供述調書の信ぴよう性は、全体的に弱いものといわざるを得ない。

もつとも、かりに本件の真相が被告人佐藤、同松尾および下中弥三郎の当公廷における各供述のとおりであるならば、捜査段階でもそのとおり述べてもよかつた理であるが、同人等が必らずしも法律的知識に明るいとはいえない点を考えると、万一の場合を考慮して、下中が全く表面に出ないように真相を曲げて述べたとみる余地も十分あるのであるから、このことをもつて同人等の検察官に対する前記各供述調書の記載を信用することは相当でなく、また重山義雄および重山道枝の検察官に対する前記各供述調書の記載は、一見被告人松尾の検察官に対する前記昭和三十一年二月二十七日附供述調書の信ぴよう力を補強するごとく見えるが、前認定のごとく松尾が大西に三十万円を渡した場所が東京駅であつたとすれば、松尾の右調書中第一議員会館の大西の部屋で三十万円を渡す際、同時に秘書の分として一万円および三万円を同人に渡した旨の記載自体にわかに信用し難いこととなるうえに、被告人大西は当公廷において、昭和二十八年八月に重山義雄を伴い国会報告演説のため姫路に帰つたが、その留守中同人の幼児が医者にかゝり入院費にも困るというので、帰京後間もない同年九月初め頃、姫路における同人の働きに対する謝礼と病気見舞とをかねて、一万円を同人に渡したことがあるが、その時期は、同人に初めて正式な秘書の費用一万九千余円を支給した日すなわち九月十日の数日前のことである旨供述しているところ、前記重山義雄および重山道枝の各供述調書の記載からみても、また同人等の当公廷における各供述からみても、大西から一万円を貰つた時期についての同人等の記憶が確たるものではないことをうかがうことができるので、かかる事情のもとにおいては、右重山義雄および重山道枝の各供述調書の記載によつて被告人松尾の前記供述調書の記載を信用することは当を得ないものというほかない。

そこでさらに、本件贈与の趣旨を明確にする手がかりとして、図書館法の制定と被告人大西の立場ならびに同法制定運動と平凡社との関係について考察するに、被告人大西、同松尾の当公廷における各供述、証人腰原仁、同横田重左エ門、同新井恒易、同町村金五、同前田栄之助、同相馬助治、同佐野友彦、同田中義男の当公廷における各供述を総合すると、戦後新教育制度のもとにおける学校図書館の重要性に鑑み、全国の小、中、高等学校教職員の中から学校図書館の充実が叫ばれるようになり、日教組がこの声をとりあげて昭和二十四年三月二十六日文部大臣に宛てゝ学校図書館法制化の要望書を提出するに至つたが、被告人大西は当時日教組の教育文化部長としてかかる方面の責任者的地位にあつたこと、昭和二十五年二月に協議会が発足した頃から漸く図書館法立法化に関する陳情等の運動が活発化し、昭和二十七年三月十八日には協議会の請願が衆参両議院に提出され、それぞれ採択された後文部省に回付され、その後図書館法は与野党ともに賛意のうちに比較的順調な法案準備の過程を経、第十六国会において成立するに至つたこと、この間に被告人大西が、前記日教組教育文化部長時代以来の念願から、同法案の成立に対し努力を尽したこと、しかしながら右第十六国会は、同被告人にとつて衆議院議員としてのはじめての国会であり、同人が図書館法案通過の成否の鍵を握つていたものとはとうていいえないことを認めることができ、また、被告人佐藤、同松尾の当公廷における各供述および証人斉藤道太郎、同久富達夫、同大木武雄、同下中弥三郎(二回)、の当公廷における各供述を総合すると、平凡社が図書館法制定運動と関係をもつに至つたのは、右運動の中心的役割を果していた協議会が、財政難のため機関誌「学校図書館」第四号以下の発行を継続し難くなつたところから、昭和二十五年二月同会々長久米井束が、旧知の間柄にある平凡社々長下中弥三郎に協力方を依頼した結果、同社がその出版について面倒をみることとなり、この関係は、昭和二十九年三月同誌第四十号の発行まで継続されたのであるが、それ以外に平凡社がとくに図書館法制定運動に援助を与えたような事実はなく、また図書館法の制定によつて平凡社の受ける利益としては、同社発行の書籍の売行が多少でもよくなるであろうかという莫然たる期待がかけられる程度を出ないもので、とくに右運動を援助すべき必要もなかつたこと、しかも本件当時平凡社が極めて隆盛の時にあつたことを認めることができ、さらにまた、図書館法制定に対する被告人大西の前記立場から推すと出版業者が同法から利権を漁る意図があつたものとすれば、同人以外の他の代議士にも金員をばらまく等の運動があつて然るべきであるのにかかわらず、とくにかかる意図をもつて金品の授受が行われたような事実は証拠上何等認められないことを考えると、本件において、平凡社が図書館法の成立にとくに営業的利益を結びつけて、大西を援助したものと見るのは極めて困難なことといわなければならない。

しかして右諸事情は、ひいて被告人佐藤、同松尾および下中弥三郎の検察官に対する前記各供述調書中本件贈与の趣旨に関する記載部分の信ぴよう性を、さらに一段と弱めるものというべく、もはやこれらの証拠を採用し本件三十万円が公訴事実にいうような趣旨で授受されたものと認めることは、とうてい許されないものというほかなく、かえつて、被告人大西、同松尾、同佐藤の当公廷における各供述、証人下中弥三郎(二回)、同得本時義の当公廷における各供述ならびに本件三十万円が東京駅において大西に渡された前認定の事実を総合して考えると、昭和二十八年九月下旬頃、被告人大西が下中弥三郎を自宅に訪問し、同年十月二十五日世界連邦建設同盟姫路支部結成大会を開催する予定であることを告げて、同人の出席を懇請するとともに、その席上選挙地盤を固めることの困難な事情をも訴えたので、下中は、自分が情熱を傾けている世界連邦建設同盟のことにつき大西が大いに努力していることを知り、当時平凡社の財政状態も良好であつたので、この際同人の政治活動に必要な資金を援助しようという気になり、同年十月六日に、被告人佐藤にこのことを話し、結局大西への贈与分として三十万円の小切手が発行され、被告人佐藤、同松尾が当公廷において供述しているような経過をたどり、佐藤から松尾に右小切手が手渡され、これが間もなく現金化されたうえ、東京駅において、松尾から大西に渡され、大西もまたそのような趣旨で贈られるものと解してこれを受け取つたことの蓋然性が極めて強いものといわなければならず、果してそうだとすれば、被告人大西につき本件犯罪の成立しないことはもとより、被告人佐藤、同松尾についても、同人等は、下中弥三郎の意を受けて右金員を大西に取り次ぐいわば単なる使者程度の役割を演じたものに過ぎなかつたというべきであるから、かりに右佐藤および松尾が下中の意を曲解し、本件金員が公訴事実にいうような趣旨をも含めて贈られるものと考えたとしても、もはやかかる点を捉えて右両名の罪責を問う余地はないものというべきである。

もつとも、以上のようにみると、大西に贈られた三十万円は相当個人的色彩の強い金といわなければならないのに、平凡社の会計からこれが支出されている点およびその額が比較的多い故に贈与の趣旨の不純性を疑わせる点について、その理由が説明されなければならないが、被告人佐藤の当公廷における供述、証人下中弥三郎(二回)、同斉藤道太郎の当公廷における各供述および前記平凡社の諸雑費用補助簿一冊の記載を総合すると、平凡社は従前からその収益の一部を社会的奉仕に費消する方針がとられており、その使途につき下中弥三郎の意見があれば、財政状態の許す限り殆んど無条件でこれに従つてきたこと、同社が本件以外に大西や他の代議士に対し、三万円ないし五万円程度ではあるが、資金援助をした事実のあること、本件当時平凡社が創業以来ともいうべき好景気のなかにあつたことを認めることができ、これらの諸事情に照らすと、本件金員が同社の会計から支出されている事実はさして異とするに足らず、また、右諸事情と、前記のように本件三十万円とは別に、同時に協議会に対しても二十万という額の金が支出されている点とを考え合わせると、従前の代議士に対する資金援助が三万円ないし五万円程度であつたことを考慮に入れても、右三十万円を不当に多額であるとし贈与の趣旨に不純なものがあつたのではないかと疑うことは相当でない。さらにまた、前記のとおり右三十万円が協議会に宛てゝ学校図書館運動資金名義で支出されていることは、同会が右運動の推進的役割を果していただけに、本件贈与の趣旨がむしろ公訴事実にいうようなものであつたことを裏づけるかのごとくであるので、この点について言及するに、被告人佐藤の検察官に対する昭和三十一年二月十八日附供述調書によると、同人が平凡社の経理部長または同次長に命じて右手続きをとらせたものと認められるところ、佐藤がいかなる配慮のもとにかかる措置をとらせたかは証拠上必らずしも明確でなく、あるいは同人が、自分の発議によつて前記二十万円を右運動の中心的立場にあつた協議会に支出することになつた関係上、下中から発議された本件三十万円の支出名義については、形式的なことでもあるのでさして考慮を払うことなく、右二十万円について考えた支出名義と同一にさせたのではないかとも考えられ、あるいはまた、佐藤が同社の経理内容を公表しなければならない場合を考慮し、別に差し支えはないにしろ、本件金員が相当まとまつた額でもあるので、代議士である大西への贈与ということを表面に出さない方が適当であると思料してかような措置をとらせたのではないかとも考えられるところであるのみならず、三十万円と二十万円の小切手がわざわざ別に発行されていること自体は、かえつて両者が実質的には異る趣旨のもとに支出されたことをうかがわせるのであるから、右のような支出の手続きがとられている故をもつて、本件贈与の趣旨の認定を左右することは許されないものというべきである。

されば、前示第一、(二)および第二、(二)の各事実は、金員の授受があつたことは認定できるが、その贈与の趣旨の点において証明がないことに帰する。

以上説示したとおりであるから、本件各公訴事実につき刑事訴訟法第三百三十六条を適用し、被告人三名に対しいずれも無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山田鷹之助 寺沢栄 永井登志彦)

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